本作品は、門外不出とまではいわないにしても、国外貸出は厳しく制限されていて、滅多に行われないとの話を聞いたことがある。
(1995-96年の歴史的なフェルメール回顧展にも、ワシントンには出品されず、オランダ・ハーグでのみ公開されている。)
では、なぜこの〈牛乳を注ぐ女〉が来日したのか。アムステルダム国立美術館は当時、記念建造物の修復に取り掛かっており、6年以上にわたって多大な予算が費やされていた。当時の館長が凝ったデザインをイタリア人デザイナーに依頼したため、工期は極端に遅れ、予算は膨れ上がって、文化省からのサポートも途絶えがちになった。その結果、館長が取った荒業は〈牛乳を注ぐ女〉を日本に貸し出し、見返りにサポートを得るというものであった。
ところが、(オープニング・レセプションに来日した)館長は、本国に帰って3日後には館長の職を辞さなければならなかった。辞任の理由は明らかではないが、この〈牛乳を注ぐ女〉の貸し出しとの関連を否定することはできないだろう。
1696年、アムステルダムで競売。
175ギルダー。
1701年、アムステルダムで競売。
320ギルダー。
1719年、アムステルダムで競売。
126ギルダー。
1765年、アムステルダムで競売。
560ギルダー。
1768年、アムステルダムで競売。
925ギルダー。
1550ギルダー。
取得者の銀行家マイルマンはすでに《レースを編む女》を所有。
1813年、アムステルダムで競売。
2125ギルダー。
取得者のルクレツィア・ファン・ウィンテルは、既に父から遺産として受けた《小路》を所有。アムステルダムの名門シックス家に嫁ぎ、以降、シックス家の所蔵となる。
75万ギルダー(39点一括購入)
1905年、シックス・コレクションのうち《牛乳を注ぐ女》を含む60点が売りに出される。
この時代、アメリカのコレクターが17世紀オランダ名画を買い漁っており、《牛乳を注ぐ女》も海外流出の懸念があった。
これに対し強い反発が起こる。
39点のほとんどは凡庸な作品である、それら駄作を《牛乳を注ぐ女》をだしにして高値で売ろうとしている、《牛乳を注ぐ女》もせいぜい35万ギルダーくらいの値だろう。
親密感に満ちたオランダ的な《牛乳を注ぐ女》ではあるが、アメリカのバイヤーたちに大枚をはたらかせるほどの見栄えも大きさもない。
オランダはすでにたくさんの祖国の17世紀絵画を所有している、アメリカの金持ちと競うなど無意味、そんな金があったら、若い現代画家を支援すべきだ。
これに対して賛成/推進派。
オランダはすでに多くの優品をみすみす海外に持っていかれている。いま個人所蔵でわずかに残っている優品が大西洋の反対側に行くのを許すわけにはいかない。もし39点をまとめて買わなければ、《牛乳を注ぐ女》は確実にアメリカに渡ってしまう。
すでにあまりにもたくさんの国宝級の作品が流出している、現代絵画が同じようにオランダから姿を消すとは思えない、彼らはこれから新作を描くだろうが、ライスダール、フェルメール、メッツー作品は、ひとたびアメリカ人の手に渡れば、二度と再びオランダには帰ってこないのだ。
この購入は無駄遣いなどではない。なぜなら、これで万が一オランダ政府が財政的に困窮したとしても、何百万ギルダーもの金が国立美術館から入ってくるだろうし、このフェルメール作品《牛乳を注ぐ女》は膨大な金額を集める最初の作品の一つになるだろうから。
1921年、パリ
Exposition hollandaise. Tableaux, aquarelles et dessins anciens et modernes
Jeu de Paume
フェルメール3点
✳︎プルーストが《デルフト眺望》を観た展覧会。
1929年、ロンドン
Exhibition of Dutch Art, 1450–1900
Royal Academy of Arts
フェルメール9点
1939年、ニューヨーク
Masterpieces of Art. New York World's Fair
フェルメール2点
1939年、デトロイト
Masterpieces of Art from Foreign Collections. European Paintings from the New York and San Francisco World's Fairs
フェルメール1点
1941年、デトロイト
Masterpieces of Art from European and American Collections. Twenty-Second Loan Exhibition of Old Masters
フェルメール1点
1942年、モントリオール
Loan exhibition of masterpieces of painting
フェルメール1点
1942年、ニューヨーク/シカゴ
Paintings by the Great Dutch Masters of the Seventeenth Century Art
フェルメール2点
1953-54年、チューリヒ/ローマ/ミラノ
Hollander des 17. Jahrhunderts
(Mostra di pittura olandese del seicento)
チューリヒ美術館
エスポジツィオーニ宮殿(ローマ)
パラッツォ・レアーレ(ミラノ)
フェルメール3点
1966年、パリ
Dans la lumière de Vermeer
オランジュリー美術館
フェルメール12点
✳︎本展はハーグ(マウリッツハイス美術館)にも巡回。
1996年、ハーグ
Johannes Vermeer
フェルメール23点
✳︎巡回のワシントンには出品されず(あの《デルフト眺望》ですらワシントンに出張したのに)
2001年、ニューヨーク/ロンドン
Vermeer and the Delft School
ロンドン・ナショナルギャラリー
フェルメール16点/14点
2007年、東京
フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展
フェルメール1点
2009年、ニューヨーク
Vermeer's Masterpiece '"The Milkmaid'"
フェルメール6点(うち5点は自館蔵)
2017年、パリ
Vermeer and the Masters of Genre Painting: Inspiration and Rivaly
フェルメール12点
✳︎巡回のダブリン、ワシントンには出品されず。
2018-19年、東京
フェルメール9点
✳︎巡回の大阪には出品されない。
1921年に初の国外出張はパリ。
1929年にロンドン。
戦後。1953-54年に、スイスとイタリアに国外出張。
次は12年後、1966年に2回目のパリ出張。
次はなんと35年後、2001年の戦後初のニューヨーク&2回目のロンドン出張。
次は6年後、2007年に東京初出張。
次は2年後、2009年に戦後2回目のニューヨーク出張。
次は8年後、2017年に3回目のパリ出張。
次は翌年、2018-19年に2回目の東京出張。
戦中を除き国外出張先は7都市で延べ17回、9つの展覧会に出品。
3回:パリ
2回:ニューヨーク、ロンドン、東京
1回:チューリヒ、ローマ、ミラノ
やはり貸し出しが稀であることが分かる。
そんななか、今回、11年ぶり2度目の来日が実現したのは、初来日は別人によって実現されてしまったが、自分が企画する展覧会でも来日させたいという企画者の強い意志によるものだろう。
〈2008年のフェルメール展〉
2007年の展覧会で『牛乳を注ぐ女』が来日することが決まったばかりだったので、その滞在期間を延長して、こちらにも出品してほしいと求めたが、それは不可能だと断られた。
〈2018-19年のフェルメール展〉
彼らには感謝の念しかないが、この来日決定には、アムステルダム国立美術館総館長の懐具合も関係していることはたしかだ。同美術館は2004年から2013年まで、約10年間、大々的な改修を行っていた。2015年には財閥ロスチャイルド家から、レンブラントの貴重な人物画2点をオランダとフランスの共同購入というかたちで、約210億円で入手している。コレクションを増やそうと攻めの姿勢を貫くアムステルダムはサポートを必要としているのである。
(秦新二・成田睦子著『フェルメールの真実』文春文庫より)
この「2点1対の全身肖像画」という点が貴重。
全身肖像画は胸像や半身肖像画と比べて値が張るため注文が少なかった。また、肖像画の注文主に全身像はそれほど必要がなく、重要なのは常に顔であり、ステータスや階級を暗示すれば事足りた。そのため、2点1対の全身肖像画は、レンブラントでも3対しか残さなかった。